2009年3月15日日曜日

蔵の由来

我が家にやってくる蔵、であるがその由来がどうしても知りたいとこの1年間思ってきた。蔵の大戸裏に、

明治二十九年
丙申十月建築

鶴岡町宝町
佐藤徳次郎
佐藤富吉

棟梁
万年萬吉

と裏書きがある。

施主の名前が、佐藤徳次郎・富吉さん、であったということがここからわかる。大工棟梁の万年萬吉さん、は渡部工業の小池さん実家のご近所さんの万年さんのお爺さんということがすでに判明していた。しかし当時の施主、佐藤徳次郎、富吉さんについてはどんな人だったか知らないまま1年間が過ぎてしまったのだが、ここへきて判明した。
渡部工業から送られてきた資料によって、蔵を建てた施主の佐藤徳次郎さんは、鶴岡を代表する名産品である漬物の老舗、「佐徳」の創業者だということが判明した。「佐」藤「徳」次郎、ということだということか?佐徳は創業が明治10年、この蔵の建造が明治29年なので創業後19年たって作られたようである。20年近くを経て、大きく飛躍したあとで蔵を建てたのか?その後店は違う住所へと移転したことから、蔵本体は乾物問屋にわたって今に至ったと聞き及んでいる。鶴岡に何度も足を運んだことのある、私にとってこの佐徳の漬物はたいそう有名だということくらいは知っていて、料理屋などでは必ず出てくるし、お土産物としても有名であるし、とにかくこの鶴岡の代表的な漬物は旨いことでも知られている。

明治29年は西暦でいえば1896年。丙申(ひのえさる)の年である。荘内地方の建築物のうち、有名な「旧風間家丙申堂」が同じ年に建てらてたことがわかる。風間家は鶴岡一の豪商であったようだ。明治27年に酒田大地震があった後に教訓をへて建てられたらしい。以下は災害伝承情報データベースより。

【災害名】酒田大地震(庄内大地震)
【発生日時】明治27年10月22日午後5時37分
【被災地】酒田を中心とする最上川下流域
【災害の概要】別添「酒田市史―下巻―」p.359~362参照
【教訓等】丁度、夕食時刻に起こった大地震で、大火災が発生し1,747戸が全焼し、死者162名にものぼる大惨事となった。

別の記録によれば700名あまりが死亡とも記録されている。つまり同じ年に建てられた我が家の蔵も、この酒田大地震を経て建てられたわけで、もしかすると当時はこの地震で崩れた蔵や家屋があちこちにあって、建築ラッシュだったのかもしれない。同時にお金がある人たちは、丈夫で安心な蔵を建築したのだろう。たぶんこの想像は当たらずとも遠からず、と思う。この年、1896年は三陸沖地震の津波で3万人近くが死亡、8月には陸羽地震で死者200名、と立て続けに地震が続いているようで、蔵に力が入れられたのにも納得できる。

漬物蔵、そして金庫蔵の両方で使われていたのか、この蔵には入口が二つ作られていたところが特徴でもある。残念ながら、大戸に描かれていた巾着(きんちゃく、お金がたまりますように、という願いだそう)に差し込む鍵は見つからなかった。

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