2009年3月31日火曜日

あっという間に屋根までも

本日、昼間に現場を訪れるとあっという間に屋根が現われていた。

週末、地元に戻っていた若い大工さんも現場復帰し、4人でお仕事中。屋根板を張りその上に隙間を設けるための材を打ち込む作業中。

見たこともないくらい、大きな釘を打ち込んでいる。一振りごとにまっすぐ釘が打ち込まれるのは気持ちイイ。あんなにでかくて長い釘を思いきり振りおろす金槌で打ち込めたらきっとスカッとするだろう。下屋部分の構造もほぼ完成し、ようやく外枠に相当する構造が完成したみたいである。

北側下屋は玄関と私の書斎になる予定であるが、構造は杉である。杉はJapanese Cederと一般的な英語では呼ぶ、が実際にはCedarは適切じゃないようだ。Cedarは、聖書に出てくるレバノンスギ(Lebanon Cedar)、やヒマラヤスギ(Deodar Cedar)と同じように並べられるが、まっすぐに成長する杉は日本のみに自生する(らしい)。それなら花粉症も日本人だけ?と思ってしまう。スギはまっすぐに育つので、「直木」からきている、という説もあれば、”本居宣長は古事記伝神代七之巻にて、スギは傍らにはびこらず上へ進み上る木として「進木(ススギ)」としており、「直木(スグキ)」は誤りとしている。(from Wikipedia)”と、「進木」からきているとされている。いずれにしても日本固有種である。
縄文時代におもに東北地方で人口の集中が起こり、クリを用いた建造物が作られたのが今から約5000年前のこと。三内丸山古墳は言わずと知れた巨大遺跡。今の大工でもわずかのほぞ穴を開けるのに苦労するクリを大胆に使って作られた遺跡は有名だが、実際どれだけの手間と時間をかけたのか。落葉広葉樹のクリから、常緑針葉樹のスギに建材は変化するが、スギの割裂性に魅力を感じたか?定かではないが相当に楽な作業になったと思われる。縄文人と同じ、クリの柱に囲まれてなかなか感慨深いに違いない。

2009年3月29日日曜日

「を」と「が」

本日の進捗は、素人のぱっと見では多分まったく気がつかないだろう。今日は「鼻隠し」と呼ばれる板をはめ込んでいる作業に出くわした。それ以外も少しずつ進捗はしているようなのだが、この鼻隠しというのは、内掛け梁(垂木)の先端を隠すような意味合いがあるようだが屋根の軒先からの空気の侵入も防いでくれる(はず)。昨日の様子(左)と今日の様子(右)を似たアングルから撮影した写真を見比べればどこが違うか気がつくだろう


これもすべて再利用である。そもそもこの程度の小さな板、使わないと思われていたようでどこに入っていたのかは番付を記録してないので、すでに今となってはわからない。そこで合いそうなものを眼検討で見つけつつはめ込んでいく、というのが今日出くわした作業である。

昨日掛けた、内掛け梁、どうも具合がよくないらしくやり変えていた。

曰く、「人間と同じで時間がたつとガタがくる」とか。うまく合うようにこの足場の上で加工し、そして再度載せ換えた。

手間がかかる、と思うか、それとも手間をかける、と思うのかは大きな違いである。今回、1年近い期間をO設計室の大沢さん、加々美さんと費やしてきた。手間がかかった、と思う反面、こうして徐々に形になってくるのを見ると手間をかけてよかったと正直思う。大工さんの手仕事は、手間をかけているのがよくわかる。これは基礎工事の岩本建設さんのときもそうだが手間をかけていい仕事をする、という姿勢を見習いたい。すべてがマニュアルを好む私としてはやはり手間がかかるほうがいいのだ、手間をかけたのだと思うようにしたい。

2009年3月28日土曜日

棟木登場

建て方工事第6日目、初日は墨付けだったので実際に作業に入ってから5日目にして最大の山場である棟木が上がった。土曜日の朝9時に現場に娘と二人で駆け付けたがすでに建築家の加々美氏は現場で打ち合わせをしていた。通し柱、2階の大黒柱はすでに昨日のうちに据え付けが終わり、あとは棟木を待つばかりの状態で作業開始。
うちの棟木は幸いというか、残念なことにというか継いである構造で約1/3と2/3に分かれている。西側部分の大黒柱に近い部分の短い方から作業に突入した。

この短い側のほうだけで約300Kg。長いほうはというと約600Kgある。長い棟木のほうでどのくらい長いかというとこのくらい。

大工一人が、最上部に上ってこの棟木をはめ込む作業を行い、もう一人が下で手伝う。掛矢(でかい槌)でがんがんと打ち込んではめ込むが地上7m近いてっぺんでこの掛矢を構えて振り下ろす作業で自分もろとも落ちてしまいそうな、危ない作業を簡単にこなすのはさすがである。命綱もつけてないしなんとも頼もしい。正直、この姿はかっこいい、の一言に尽きる。
棟木が上がると次は、内掛け梁をその棟木に掛けていく作業に入る。1本1本番付どおりに棟木に差し込んでいくが、大量の内掛け梁をどんどんとはめ込んでいく。内掛け梁と棟木、内掛け梁と軒桁との接合は、「ほぞ」で行うが「ほぞ」自身ははめ込み式になっていて具合の悪いものは全て取り換えながらの作業である。建築家の大沢さん曰く、ほぞはどうやら樫の木で出来ているらしく非常に硬い。実際触ってみると高級積み木のような手触りなので捨てずに取っておいてもらい、あとで娘の遊び道具にすることにした。



午後になって、屋根全体にわたって内掛け梁の据え付けが終わった。全体をかけ終わってみるとおおかたの蔵の全貌が明らかになってきた感じがする。感無量。

午後は更に、玄関入口の梁は据え付けられた。これは大梁の余りを使って下屋部分に持ってきたもの。玄関と書斎部分は新材で作られるので貴重な材を余すところなく使い入ってくる人にインパクトを与えようというものでもある。短い切り落としのこの大きさでも100Kgは優に超えるのでこれもクレーンを呼んだ日でしか作業ができないとのこと。

ここまで見てきてやはり、伝統工法のこの軸組みは木の特性を十分に活かしているという気がする。大沢さんによればケヤキは切ってから使うまでに20年あまり、放置して乾燥させ、外側を虫に食わせ芯だけを残し、使うらしいが実際こうして蔵の部材になる遥か昔にすでに切り落とされて待っていた木材たちがあったということに感動する。20年ということは60歳で定年して家を建てたいと思ったら、40にして山に入って木を選んで切って寝かしておかないといけないということ。

2009年3月26日木曜日

着々と

工事は進んだようだ。「ようだ」というのは本日は朝から都内で仕事だったため現場を見てないからだ。妻が娘とともに今日は見に行ってくれて写真を撮ってきてくれた。
今日は、「桁」まで上がったようだ。

玄関部分は当然、通し柱が1階にないため2階部分だけが柱をもつ。

徐々に柱が林立する姿が浮かびあがってきている。この我が家の柱だが、そもそも蔵の構造からして屋根が低いため、住居にすると天井高が低すぎる。そこで柱の下側を継ぐことにした。もともと柱が多すぎることもあり、根継を行うことにした。柱の下側はすべて継いでいる。ちょどこの部分はシロアリに食われていることもあり、そもそも根継をしなくてはいけなかったわけである。
どうやら今日は、二階部分の桁までは上がったが、いよいよ土曜日(28日)に棟木が上がる予定。これは楽しみである。あの大きな大きな棟木がどうやって(クレーンは当たり前だが)据えられるのか?一発で入るのか?想像力が膨らむ。

大工の道具、その1

最も興味があったのは大工の持つ道具と、その技、そしてその手入れである。同様に、左官のもつ道具と、その技、その手入れにも大きな興味がある。外壁や内部の壁の一部を左官仕事でお願いすることになっていて1月に、湯河原の長田左官にお邪魔して展示室を見せてもらった際に、古舞の準備をしている作業場もお邪魔した。その折、長田左官の三代目から道具を見せていただいた。

すべて自分で作る、そうだ。作るといっても鍛冶屋じゃいないので頼んで自分のいいように作ってもらうらしいが、すべて目的があっての道具である。
同様に大工もすべて持つ道具には意味があり、長い歴史がある。しかし、相当長い歴史をもつだろうと考えていたが、以前、「大工道具の歴史」という本を読んでみるとそれほどでもないらしいことも知った。江戸時代になってようやく今の大工道具に近くなって落ち着いたらしい。しかし、そうなると昔の大工はどうやって大きな家や寺社仏閣を建ててたのか、またもって不思議である。この本は、なかなかマニアックな内容で面白い、日本の木造建築がクリで始まり、杉に至る経過もよく説明されているし、鋸の発達やその構造などが詳細に述べられている。

やってきた渡部工業の大工さん四人衆もいろんな道具を持ち込んでいる。


さすがに、鑿(ノミ)はよく切れそうだ。しっかり現場には砥石が用意されているし使い込まれている。軸組み工法に欠かせない、「掛矢」(大きなハンマー)、鋸、かなづち(玄能といった伝統的な工具はもちろんだが、土台に穴をあけるための電動ドリル、そして現代の大工はレーザーレベルメーター(水準器)までを使いこなす。レーザーでやってしまえば、1mm以下の精度まで出すのはたやすいのは知ってるが、結局この日はレーザーを使わず、「振り子」の重りで柱の傾きをチェックしていた。「振りっこ」という商品名のものを持ち込んでいたが、実際、工具売場で相当な高額で売られているこの振り子には興味があった。短時間で振れが止まります、という謳い文句がどの商品にも掲げられていて、そんなに必要かなあ、と思っていたが実際の現場で見てみれば、振れが止まらないとイライラすることは間違いないので、それはイライラの対価、としての技術革新か、と思えた。粘性素材が入って振動を抑制しているのではないかな?と思われた。

今日は朝の作業途中から雨が降り出したので、あまり作業は進まなかったはず。明日は寒いながら晴れそうなので期待したい。

2009年3月24日火曜日

軸組み工事、本番

今朝は珍しく5時から出かけてしまったので、仕事帰りに現場を訪れてみた。昨日の時点では土台が作られていただけだったのが、着いてみて驚き!。クレーン車が来てる、しかももう柱がたくさん立てられている!しかも1階の梁までもが!


興奮した。柱は思ったよりも傷んでいるところもあるのだが、問題なく大きな大きな梁を支えている。駐車場部分の梁を載せる作業に立ち会ったが、さすがに迫力がある。

ふと見ると、すでに大黒柱もすでに据え付けられているではないか。不覚、大黒柱の据え付けは見ておきたかった。
一尺の大黒柱は他の栗の柱とは異なり、ケヤキである。そして通し柱ではなく、1階と2階部では継ぎ柱として成り立っている。今日初めて、漆塗りの材のヴェールがお目見えした、ということだが夕陽を浴びて鈍く光っているさまは美しい。どんどんとこのあと、柱や梁がお目見えすることだろう。なんとか棟木をあげる作業には立ち会いたい。

2009年3月23日月曜日

建て方開始:土台づくり

いよいよ渡部工業さんが到着し、今朝から作業に入った。まずは土台組み。到着したらすでに墨付け作業が開始されていた。

土台の下には通風を確保するため隙間を作るが、隙間パッキン、基礎パッキンなどあるようだが我が家はやはり、木材を使う。蟻に食われないように、木酢液に浸して乾かす。

建物基礎の内側にはすでに、プレカットされた土台が運び込まれて組まれるのを待っているが、軸組み工法なのでいろんな方法で継手が用意されている。下の写真は、腰掛蟻継(左)と鎌継(右)とのこと。この土台の材に直交する方向に大引が据えられる。大引は腰掛蟻継のオス側となって差し込まれる。

朝の状態はこんな感じで墨付け作業に終始していたが、夕方ちょっと寄ってみたところほとんど、土台が終わりかけていた。

さすがである。土台にわたる大引が据えられる様子はこの通り。

土台同士はこんな感じで継がれる。

大黒柱はここに据えられる予定。

2009年3月22日日曜日

ビケ足場

工事がいよいよ明日、23日から始まるがそれに先立ち土曜にには足場が設置された。「ビケ足場」とは正式名称「くさび緊結式足場」。我が家のように、住宅用は「くさび緊結式住宅工事用足場」と呼ばれ、平成15年6月に(社)仮設工業会より、「くさび緊結式足場の部材及び附属金具」に適合する部材を用いた安全基準として、「くさび緊結式足場の組立て及び使用に関する技術基準」が決められている、とのこと(from Wikipedia)。
株式会社ダイサン、が初めて作ったと書かれているが、以前からいたるところにビケ足場の置き場に気が付いていた私としては興味があった。土曜日に現場に着いてみるとすでにビケ足場が荷降ろしされて、飯村さんの指示を待つばかりだった。

東京ビケ足場さん、から二人の職人さんが来てくれている。聞いてみるとこの大きさの足場を二時間半で組み上げるというから驚き。設計図を見ながら、きちんと玄関、窓などに足場がかからないように配慮しながら、次々に足場を組み上げていく。ハンマー一つでどんどんと組んでいくのは面白い。どでかい、LEGOのようだ。これは男なら、一度はやってみたくなる作業だな、と思った。ビケ足場で作る構造物選手権、なんて面白かろう。さまざまな組み合わせで空想力がたくましくなりそう。

ハンマーを片手に作業を進めるが、ふとハンマーを保持するベルトに目がいく。ハンマーをすとんと滑らせてホルダーにさしているが、よく見るとハンマーがしゃきーんと入ってもバネのクッションで衝撃が和らぐような構造になっている。たいしたもんだ。

ここでも、きちんと持っているものと作業に意味がある、ことを実感する。来ている服装とやっている作業に、脈絡のない私はこの通り。たまった水をかき出す作業をよそ行きの洋服でやっている有様。