2009年4月7日火曜日

上棟式を終えて

予定通り、2009年4月7日(火)15時より上棟式が執り行われた。友引の日取り、天気にも恵まれて気持のよい上棟式となった。仕事を終えて現場に駆け付けるとすでに、五色の旗竿が掲げられ梵天などがあつらえられていた。

ぱらぱらと近所の人たちも集まってくる中、施主の私は屋根の上に登り上棟式の準備に立ち会う。
施主側で準備したものは、米、塩、日本酒(お神酒)、赤飯、野菜、果物、昆布、するめ、六文銭代わりの五円玉(紅白の水引をつけて)。それぞれ意味があるのだろうが深くはわからない。用意された棟札には以下の文言が書かれている


O設計室に教えられたところによれば、
【①手置帆負命(たおきほおいのみこと)】
天太玉命が率いていた神の一柱。讃岐の忌部(いんべ)氏の祖神。手尺の神。
【②屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)】
日本書紀に出てくる神様で、木の神々、句句廼馳(くぐのち)神のこと。
【③屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)】
五穀豊穣の神様、豊受姫。稲荷神に相応しい神様。
【④彦狭知命(ひこさしりのみこと)】
天太玉命が率いた神の一柱。奇異の忌部氏の祖神。尺度(さし)を掌る神

※①と④は工匠の神・棟梁の神

とのことである。ふつうは棟札は天井裏などへ納められるが、我が家には天井裏がないためこれは大黒柱上、棟木との接合部分あたりにかけられる予定。立派な棟札は渡部工業の渡部社長が自らしたためた、ということ。欅の大きな棟札は大変立派なものであった。

儀式は渡部工業の小池さんの進行役によってはじまり、熊田棟梁が儀式を司る。お神酒を祭壇に載せられた餅にかけ、東西に走る棟木の上、両側に西側、東側とかけていく。続いてやはり祭壇に載せられた米を今度は屋根の四方に撒いていく。最後は同じく塩を屋根の四方に撒く。
次は、「△■※×◎。。(聞き取れない)」と叫びながら大工が西側棟木上に置いた木片を金槌で七回打ち込み、東側に控える大工が今度は「※×◎△■。。(違う文句で)」と五回槌を打ち込む。最後は棟梁が祭壇前で三度槌で打ち込んだ。今度なんと言ったのかを確認しておこう。これで、儀式はほぼ終了。
次に皆でお神酒を分け合って乾杯をする。そしていよいよ「餅まき」である。四方餅(私の出身の福岡では四隅餅と呼ぶが)をまずまいて、次に水引のついた五円玉、紅白餅を下に向かって、私と、大沢さん、渡部工業の渡部さんと3人でまいていく。なかなか爽快な気分だが、頭に当たったらどうしよう、などとついつい考えてしまう、思った以上に遠くに飛んでいかない。近所からやってきた子供たちが喜ぶ姿がほほえましく思えた。

餅まきが終われば、ここまでの職人さんたちの労をねぎらう直会(なおらい)が執り行われる。要は宴会である。O設計室の加々美さんの進行役で、まずは施主の私が自己紹介と蔵の由来を説明し、続いてO設計室の大沢匠さんが祝辞と日本民家リサイクル協会の活動を述べ、あとを引き継いで工事を取り仕切る飯村さん、そして渡部工業社長、渡部さんが乾杯の音頭をとって宴会が始まった。

屋根の上で太平洋を前にし、儀式を執り行う棟梁の姿を見つめながら何という爽快感かと思った今日の上棟式であった。研究室の学生たちやスタッフ、私の研究をサポートしてくれている健康教室参加者の方々など多くの方が参加してくれてたくさんの人にお祝いされ上機嫌である。古き良き日本の原風景を踏襲し、縁を感じずにはいられなかった今日の上棟式である。来てくれた皆さん、ありがとう。

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