2009年6月17日水曜日

余った古材のゆくえ

構造材を司どる大きな柱や梁、桁などはほとんどが元の蔵の材を再利用している。一部どうしても使えそうになく腐っていた部分などは涙をのんで切り刻んで、あらたに栗や米松などの材で補強することを含めて導入した。非常に残念なことに我が家の蔵はもともと、あと半間(90cm)長かったのだが、土地に収まりきれないために泣く泣く棟木の西側を切り落とした。まだ使い道が決まっていない。

このケヤキの塊がどこに行くのか、今後検討していきたいと思う。

そもそもこの蔵は、すでに書いたように漬物屋の蔵として明治29年に建てられたのだが、構造から推察するに貴重なもの、たとえばお金などが収められていたのかもしれない、とのこと。というのはそもそもクリでできた柱は、半間のさらに半分である45cmピッチで建っていた、ということである。なぜかと言えば、それは土蔵破りを防ぐためであったらしい。そのまま再生すると牢屋のようないでたちになってしまうので、半間おきの柱として抜いて、その抜いた柱は天井高の低い蔵の高さを上げるために継ぎ柱として再生された。よく目を凝らしえ見るといろいろなところで、このように継いだ跡が見受けられる。強度を保ってしかも柱を伸ばすというのは大工の確かな仕事の現れである。


鶴岡の大工が帰った後は、ここ地元横浜の大工が常時4名ほど取り組んでくれて仕事が進んでいるが、余った材はいろいろなところに登場している。余った材といえば、大梁、大黒柱などがあるが、貴重なこれらの材は今まさに命を再び与えられようとしている。

大梁は、玄関の上がり框へと

屋根瓦の下にあった野地板は、駐車場わきの倉庫、二階のピアノ背面の壁、そして書斎の壁へと


上の写真でもわかるように、蔵窓はそのままキマドや、サッシ窓にかぶせて蔵の往時をしのばせるような造りとした。蔵窓も蔵戸も別に余っているわけではないが、蔵の大戸はそのまま玄関として再利用される出番を今待ち構えている。

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