2009年7月12日日曜日

左官と漆喰

あまりの仕事の忙しさに、このblogの更新も滞りすでに3週間。

この間、大工さんによる作業は終焉を迎え、ついに最後の出番のひとつといえる左官の登場と相成った。大工さんによる仕事の最後は内装の細かな仕上げに加えて、大戸の仕上げ、加えて作り付け家具が主なものである。この家具については妻の要求を微に入り細に入り聞いてもらい仰木家カスタマイズ仕様のものになった。これについては次回の記事として書いてみようと思う。

左官はすでに報告した通り、小田原城の修復や文化財修復などにも活躍している長田左官さん。我が家の壁で左官さんにお願いしたのは、外の土壁、内の漆喰である。外壁については、アースカラーと呼ぶと今風であるが、自然な色の仕上げを依頼している。内部の壁の漆喰は寺社仏閣のような真っ白な漆喰ではなく、淡い乳白色に藁を練り込んだ民家に向いたような色合いである。天井のペンキと似た色になる予定である。天井とはいっても我が家には実は天井裏がなく、天井のすぐ上は通気層を隔てて屋根である。なかなかこれに漆喰も難しかろうとは素人でも分かるが、白い天井は部屋を明るくしてくれること、と期待している。

腑に落ちないなあとずっと思っていたのは、「左官」という言葉と「漆喰」という言葉である。左の官職?左遷というくらいなので誰かさんからみると位が低いのか?と思っていたが、調べてみるとこれは、「属」という漢字の訓読みの「さかん」であるらしい。古くは宮中の修理などを行う人たちのことを、木工寮の属と呼んだらしいが「属」は行政官の官位のひとつとのこと。なるほど、と思った。知り合いに「属」と書いて「さつか」さんという人がいるが、宮中での仕事をしていた人の子孫かもしれない。

漆を喰む?漆喰という言葉には漆が使われているが、漆喰にはどこにも漆は使われてないし不思議なことよ、とこれもずっと以前から思っていたが、こちらは「石灰」の唐音読みの「しっくい」に対する当て字、だということ。なるほどこれも納得。唐音読み、ということからして唐の時代に伝わったかと思えど、古墳時代から、さらにはエジプト古文明でも使われているらしい。キトラ古墳の修復中に増殖する微生物は漆喰(石灰)に寄生したもの、という報告もある。

本日、7月12日(日)だが、ちょっとのぞきに現場を訪れると長田左官親方が一人黙々と漆喰の下塗りを行っていたところで色々と質問をしたりして少々時間を過ごした。

私の本業は研究職でヒトの動きを研究しているのだが、この左官の技には以前より興味があり今回も何とか記録に残したいと考えている。どのように記録するか、は乞うご期待ということにして後日報告したい。鏝(こて)の種類に驚き、自由自在に色と肌理(きめ)を操る左官という職業は昨今話題にものぼっている。京都工芸繊維大学には伝統みらい研究センターという機関があり、左官の技についての研究も行っている。以前、私も指導していた学生が研ぎ師の技の研究を発表した際に、彼らと知り合いになったこともあり、業界ウォッチならぬ研究ウォッチを続けている。今回自分自身が左官に仕事を依頼する機会を得て、どうしても左官の技を観察してみたいと思った次第である。特に和室の壁の一角を大津磨きという仕上げにしてもらうことになっているため、この部分を中心に観察してみたい。

1 件のコメント:

ギシコフ さんのコメント...

労働の身体動作を分析するのは面白そうですね。それに世の中の役に立つ度合いが高いかもしれません。後継者がいなくて失われようとしている職人の技能をたとえ部分的であっても測定して数値化しておくことは意味があるような気がします。